イギリスのナショナルトラストのチャールコート・パーク(Charlecote Park)を紹介します。実際にチャールコート・パークを訪問した時の写真と現地で感じた印象を中心に記事中に紹介します。なお、チャールコート・パークの歴史的な背景についてはナショナルトラストのサイトも参照しています。
参考:ナショナルトラストの成り立ちや経緯は下記のリンクにまとめていますので参考にして下さい。
この記事でわかること
- チャールコート・パークの場所と行き方
- チャールコート・パークの見どころ
- チャールコート・パークの写真
チャールコート・パークについて
まず、チャールコート・パークはこんな感じの建物です(下記の写真)。
場所と行き方
場所:CV35 9ER, Wellesbourne, Warwick, Warwickshire (ワーリックシャー)
行き方:車でロンドンから約2時間くらい
チャールコート・パークの見どころ
チャールコート・パークの見どころは900年にわたり今も存続しているルーシー家の住まいです。ルーシー家の住まいであるメインハウスはチューダー朝の家にビクウトリア朝の増築が施されています。周囲に目を向けるとパークランドは二つの川に挟まれた草原には鹿と羊などの多くの野生動物の住処となっています。
後述のギャラリーの中に魚のカーペットの写真があります。ルーシー家にとって意味ある模様です。ぜひ、現地を訪れてその意味を発見してください!
このリンクからチャールコート・パークのマップにアクセスできます。(チャールコート・パークのマップ)
次にチャールコート・パークの歴史について簡単に説明します。
チャールコート・パークの歴史ハイライト
チャールコート・パークは12世紀より900年に渡るルーシー家の住まいです。地方の裕福な地主階級で土地からの地代が主な財源でした。
現在見ることのできるメインハウスは1558年にトーマス・ルーシー卿と妻のジョイス・アクトンによって建設されました。
王室(エリザベス1世)との結びつきが強く、トーマスとその息子(息子の名前も同じくトーマス)にナイト(Sirの称号)が授与されました。
1640年代にピューリタン革命が勃発し、王政が廃止され共和国が誕生します。チャールコート・パークも議会派の駐屯地として使われました。(1660年になり王政が復古)
1823年にジョージ・ルーシがチャールコート・パークを相続すると、妻のメアリー・エリザベスと共に、古びたハウスに息を吹き込んでいき、豪華なハウスへと変貌しました。
ジョージ・ルーシが1845年に、1890年にはメアリーが亡くなるとルーシー家の繁栄は徐々に光を失っていきました。
1946年よりナショナルトラストにて管理されています。
チャールコート・パークの写真
まとめ
今回はチャールコート・パークを紹介しました。12世紀から続く裕福な地主階級のカントリーハウスです。イギリスの歴史の波に晒されながら今に至る姿がハウスの随所にみられ興味深いですね。学生時代に習ったクロムウェルのピューリタン革命に関係があったりして以前に暗記した記憶を思い出したりしました。点としての記憶が少し線に繋がったような感覚です。